(寝台特急の夢を再び)北斗星号① 旅の序章 上野駅 

DD51重連を連結する北斗星 鉄道旅行

乗り物は男の夢。大きなモノを操作し、人の役に立ちたいと思う正義感、自分の持てる以上の力を使う優越感。きっと200年前には得られなかった充実感を、私たちは手にする事ができる。

 

そんな願いが叶うのは、夢が薄らいできた頃だ。人は沢山の遊びの中から自分に合った楽しみを作る。スポーツもよし、文芸もよし、数多(あまた)に広がる趣向の世界で、大きなモノを動かしたいと願った情熱は、どれだけの人の心の中に残っているか。

 

鉄道も、そんな情熱の矛先のひとつだ。自分で運転するにはあまりにも規模が大きい代物で、動かすことも憚れる(はばかれる)とは感じつつも、沢山の魅力が詰め込まれていることも事実である。

 

上野駅に到着

 

楽しみ方はいろいろ、私は移動を楽しむ人だから、寝ている間に遥か遠くへ連れていってくれる夜行列車は格別と言うほかはない。

 

その存在は、昭和最後の鉄道大ニュースで知ることとなった。1988年の青函トンネル開通と同時に運行の始まった「寝台特急北斗星号」。東京・上野と北海道・札幌をつなぐ、走行距離 1,214 km の長距離列車だ。移りゆく車窓を楽しみながら、車両の揺れを感じながら、食堂車でディナーをとり、ベッドに横たわり月を見る。

 

薄い布団で寝ていた小学生の私にとっては、憧れのベッドまで楽しめる素晴らしすぎるコンテンツ。豪華寝台列車というカテゴリーは当時も日本に類がなく、新幹線の食堂車とともに大人になったらいつかは乗りたい、夢の列車として心の中に生き続けた。

 

北斗星に乗るための寝台チケット

 

[train_line fromname=”武蔵小杉” fromtime=”14:50″ toname=”上野” totime=”16:10″ line=”(赤羽経由)” type=”普通” map=0]

 

実現は、20年後になった。減便が繰り返され、カシオペア号と北斗星号、トワイライトエクスプレス号の三大北海道行き夜行列車の存続問題が耳に入りだした頃、子供が寝台を経験できる最後のタイミングであるからと、北海道行き鉄道旅行を決断する。

 

上野の夜行列車専用乗り場は、他のプラットフォームに比べても独特の雰囲気がある。

 

上野プラットフォーム

寝台特急 19:03 分発札幌行きの電光板。子どもたちと記念撮影。独特の暗さから、沢山の夢と現実を東北へと送り続けた面影を見ることができる。2012年撮影。

 

時のとまっているような13番線は、自身の幼少の頃の国鉄線を思い出す。粗雑で無骨な石畳は今よりも随分近く見えていて、沢山の大人の脚の間からチラリと見える車両を見ては、○○線だと指をむけた思い出だ。

 

私も家内も、子供でさえも初めて乗る豪華寝台特急。上下に並ぶ上野駅独特のプラットフォームの妙も手伝い、ワクワクが止まらない。

 

北斗星入線はバックで

北斗星の入線。簡易運転台で車両を操作し、バックで進入。これを見たくて、機関車の写真を撮り忘れてしまったのはナイショである。

 

その殆どがパッケージ商品となってしまった寝台特急。上昇した価格以前に、旅行先を「回遊」するものになってしまったのが残念だ。確かに、乗車券は取得の手練によって転売化が常態化してしまっていたから、ツアー扱いにするのは正しいことだと感じられる。しかし鉄道の本来の役目であった「移動手段」という側面が無くなってしまうのはどうだろうか。

 

鉄道旅行は、ダイヤグラムを自己管理して少しづつ組み立てるのが醍醐味である。楽に旅行先に行くのであれば、飛行機を使ったほうが安くて早い。敢えて鉄道を使うのは、そのほうが楽しいからに他ならない。

 

2030年、北海道新幹線は札幌まで延伸する。札幌乗り継ぎの鉄道旅行もきっと、楽しいことだろう。けれどもその20年前には、速さを求めず移動を楽しむ文化があった。情緒あふれる旅行の醍醐味をここに記し、定期寝台特急復活の布石としたいと思います。

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