(無の心理学)エンジン音の消える世界 私たちの次の楽しみは何だろう?

諏訪湖 秋宮から 無の心理学

私たちは音に囲まれている。音にはたくさんの役割があって、前後左右・上下はもちろん、鳴き声、喋り声、意思の疎通、音楽、たくさんの文化の中心にあるといっても過言ではない。

 

そんな中、ひとつの「音」の終わりを目の当たりにするかもしれない。エンジン音だ。

 

シリンダーを石油の爆発で上下させて、動力を作り出す。ピストンの上下音、シャフトの回転音、マフラーの重低音。時々、音楽を消してエンジン音だけで過ごすこともある、気持ちのいいサウンドだ。エンジンと言われる大きな機械は、電動化の流れで駆逐されるか、されないか、帰路にたっているのである。

 

エンジン音がなくなると、どうなるだろう?

 

peugeot 308 タコメーター

 

例えば、オフ会だ。

「クルマかっこいいね!エンジンつけてみてくださいよ」

「もちろんだ!この子のV8は最高だぞ〜」

クルルル ドゥルーーーン・・・

「おおーー!」「いいね!」

みたいなやり取りは日常茶飯事。むしろ俺の車のエンジン音を聞いてくれという輩も多いことだろう。当然、私もその一人なのである。

 

それが、EVになるとどうなるか。スイッチオンすると、ファンの音がフィィィンと鳴り出して終わりである。これは寂しいではないか。エンジン音をつけるという文化は、なくなってしまうのだ。

 

けれども、である。エンジン音が無いからと言って、EVを否定するわけではない。EVにはEVの面白さがある。Peugeot e-2008を試乗すると、将来はEVも良いなと感じるのだ。エンジン音は無くなってしまうけれど、モーターを回すときにヒュイィィンを手に入れることができるのである。

 

ならば、私たちはEV時代は、モーター音を「おかず」に車を運転すれば良いのだろうか。いや、これは「否」である。エンジン音は文化だった。自動車メーカーはエンジンを音までチューニングして、その心意気を販売しているのだ。私たち車好きも、その意思を共有して楽しんできたでは無いか。

 

Peugeot 2008

 

エンジン音が失われようとしている今、今度は私たちが、エンジン音に変わるあたらしい車の文化を作り上げなければならない。オフの楽しみを作らなければならない。これが、泣く泣くEV化に進む自動車メーカーに対する、私たちの声援なのである。

 

それはいったい、何になるのか。

 

例えば、エクステリアデザインはどうだろうか。EVになることで自由さの増すボディを褒め称える。エンジンスペースの無くなる車を、破綻する事なくデザインすることは、これからのデザイナーの使命である。エクステリアにもっと着眼しようではないか。褒め称えよう。

 

または、やはりモーターのヒュューン音も良いかもしれない。複数のモーターの和音を楽しめるようになるかもしれない。ドレミファインバータの再来があるかもしれない。密かに、モーター音に色気を混ぜてくれるのではないかと私は期待しているのだ。

 

エンジン音が無くなり、鼓動を楽しむ文化は無くなるのだろう。しかし私たちは、車好き同士が集い、楽しむことを辞めてはならない。走ることを諦めてはならない。何かの文化が廃れようとも、新たな文化の発信地点になることは大いにあり得る話なのだ。

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