宇宙の始まりと心の揺らぎ

  • 2021年11月19日
  • 想像
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宇宙はいつできて、その前はどうだったのか?という頭の中でのイタチごっこを、私は幼少の時より繰り返していた。答えなど絶対に出ないのに、永遠とコレを考えるが好きだった。だから、宇宙関係の本は大好物。今でも宇宙の果てには何があるのか、興味津々です。

 

ボイジャーはただいまヘリオポーズに到達しました。まだまだ銀河系の端っこをウロチョロしているだけの人類だけど、きっとそのうち技術のブレイクスルーが起きて、3回くらい生まれ変われば宇宙旅行にいけるかも。いや、他の星に生まれるかも?

 

さて、このイタチごっこをもう少し細分化した時に現れる課題。それは生物。これも神秘です。私は明らかに意志を持っていて、今ブログを書いています。では、私のこの感情はどこからくるのか。

 

答えの一つは、実は単なる化学反応。生物は、きっと最初は無機物の中から生まれて、たまたま何かで活性化した化学反応が継続していて、つまりは原子、分子から細胞に成長して、それが寄せ集まって今の自分がいるんだなと客観視ができる。私たちはせっかく活発になった化学反応を継続する為に、営みを永遠に繋いでいく。

 

目や耳、皮膚などのセンサーを発達させて、危険を回避する行動をとる。より良い継続を求めてパートナーを見つけ、新しい生命に将来を託す。生命の旋律は今のことろ地球規模でしか見えないけれど、私たちの行動はいつか何かの結果を得るために繰り返されているに違いない、そう思うのです。

 

でも、私たちは自ら命を絶つこともある。何らかの暴走なのかもしれないけれど、継続を拒否することがある。生物界全体で言えば些細なこと、けれども、個人としては重要なこと。これも化学反応なのでしょうか。

 

神秘を信じろとは言わないけれど、やはり生き物の持つ心というものは、化学反応ではないと信じたい。楽しいと思えることが目の前にあったり、悲しいと感じることを体験したり、疲れるけれど感情の揺れは生き物の証です。自分が岩であったなら、揺れ動くことなどないのです。

 

ブログを書いて人と繋がり、フォロワーさんと楽しく話す。ブロガー仲間を見つけて、新しい繋がりを作る。他人がいるからこそ生きる自分だから、利害関係なく大事にしあえるのも心をもつ生き物だから、化学反応を超えた何かであって欲しい。

 

宇宙の神秘と心の神秘の答えは、結構近いところにあるのかもしれません。私が生を全うするまでに解明させるかは分かりませんが、子供の頃にグルグルした気持ちを大事にして、最後まで好きなことをしたいですね。

 

さて、今日は何をしようかな?